ロジカルシンキング4

根拠が伝わらないときの3つの落とし穴

いくら結論が課題に対する正しい答えになっていても、なぜそういう結論に至ったのか、なぜそれで正しいと言えるのかを説明できなければ、相手を納得させることができないことは、言うまでもないだろう。ところがこの根拠が曲者であり、大抵の伝えては根拠を伝えたつもりになっている。しかし、受け手から見たとき、それではとうてい理由にならない、という状態が散見される。しょせん、伝え手と受け手とで情報量や理解度が違うから仕方ない、と言ってしまっては、コミュニケーションなど成立しない。そもそも情報量も理解度も同程度の相手なら、伝える必要性自体ないではないか。相手から見てこれで根拠に足りるかどうかを完璧に判断することは難しい。しかし、以下の三点を留意するだけでも、その精度はぐんと高まる。

落とし穴1 「Aが必要だ、なぜならAがないからだ」では相手は納得しない。

「当社の収益性を強化するためには、営業力の強化が緊急課題だ。なぜならば当社の営業力は非常に弱体だからだ。」といわれて、なるほどと思える人が何人いるだろう。また「当社は新商品を開発すべきだ。なぜならばここ3年間、新商品が出ていないからだ。」と言われたらどうだろう。これではAが必要だ、なぜならAがないからだ、あるいはAが弱いからだ、というコインの裏返しになっている。こうしたケースは実際のコミュニケーションでは驚くほど多い。大事なことは、その現象を引き起こしている数ある原因の中から、なぜそれを選んだのかをきちんと説明するべきだ。営業力の強化が緊急課題というのであれば、営業力の弱体が収益性にどのように悪影響をもたらしているのか、他にもあるであろう収益性悪化の原因の中で、なぜとりわけ営業力強化が重要なのか、を説明しなければ、根拠を示したことにはならない。新商品も位置付けや狙いがきちんと説明されなけければ、とても莫大な商品開発の投資などする気にはなれないだろう。

落とし穴2 「それは事実ですか?それともあなたの判断、仮説ですか?」と思わせた途端に、信憑性は半減する。

「なぜ?」と聞かれたとき、その理由として示すことのできるものには2種類ある。1つは、客観的な事実としての根拠であり、もう1つは、判断・仮説としての根拠だ。これは、どちらが優れていてどちらが劣っている、というものではない。しかし、往々にして、伝えては客観的な事実の方が自分の判断や仮説よりも確かなものであり、相手にとっても説得力があるだろう、と思いがちだ。すると、相手から見たときに、それは事実なのか、それとも伝えての判断や仮説なのかがわからない言い方をしてしまう。また、自分の判断や考えに自信がないときも、それが自分の判断であるという主体をぼかしたい、という心理が働き、事実なのか判断なのかを曖昧にしがちだ。例えば、「当社の商品の不振の原因は、時代の空気をうまくとらえられていないからだ。」と言われたとしよう。そもそも時代の空気なるものが何かを定義しなければ話は始まらないが、そこは百歩譲って何らかの定義がされたとしても、うまく捉えられていない、というのは事実なのか、、それとも伝えての判断なのか定かではない。もし、事実であるとすれば具体的にどのような現象を指しているのかを示すべきだし、伝えての判断であるのなら、なぜというところに着目してそう思ったのかを示さなければ、根拠を明確に説明したことにはならない。

落とし穴3 「前提条件や判断基準」「言わずもがな」「当たり前」と思っているのは伝え手だけ。

例えば、「当社は中国市場に参入すべきか」と言われたとき、客観的な事実、例えば、中国市場の現状と競合他社の動き、そして自社の現状をを見る。しかし、これらの事実だけで、参入の是非の判断が下せるわけではない。大事なことは、そのような事実があったときに、当社は何を持って新市場へ参入するのかの基準をいかに設定するか、でありそれがビジネスパーソンの、また問題解決に携わる人の腕の見せ所だろう。例えば、当社は市場の成長性、自社の強みを活用できる度合い、そして収益性という3点をクリアした場合に新市場に参入する、という企業もあるだろうし、3年以内に投資を回収できるか、他の事業へのシナジーはあるか、という2点が判断の基準となる、という企業もあるだろう。いろいろな企業の事業計画書を見ていると、事業の羅列の次に、清水の舞台から飛び降りるがごとく、やる・やらないの判断が書かれていたりする。大事なのは、物事をどのように評価し、その結論に至ったか、である。投資をする・しない、新市場に参入する・しない、といった判断をどのような基準で考えるのかを示さなければ、その判断が正しいのか、正しくないのか受け手は判断することができない。また、仮に会議の場でやるという結論が承認されたとしても、その場に出席した役員一人一人に「なぜ、あなたはこれらの事実から、この事業をやるという結論に賛成したのですか」という質問をしたときに、果たして、営業担当役員と生産担当役員、技術担当役員の根拠は一致しているだろうか。もし、その思惑が違うとすると、後々、市場参入後にトラブルがあったり、事業拡大や撤退を判断するときに、足並みの乱れが現れてしまうだろう。事実に対して、与えられた課題に答えを出すうえで、、その事実をどう見るのか、という判断の軸こそが、企業にとっての戦略的な視点であり、問題解決の際の要点でもある。これらをきちんと示すことが、結論とそこに至る根拠を、相手や組織の中で共有する上で極めて重要だ。

ロジカルシンキング3

なぜ、相手に自分の「答え」が通じないのか

結論、根拠、方法。ビジネスパーソンであれば、表現は違っても日頃から耳にする言葉だろうし、答えの要素としてこの3つを用意するなど当たり前ではないかと思われるだろう。しかし、問題なのはあなたが考えている結論が相手にとっても同様に明快なものか、あなたの考えている根拠が相手を納得させるのに十分か、そして、あなたの考えている方法で本当に動くことができるのか、ということなのだ。あくまで相手にとって3つの要素が明快でなければ意味がない。人間誰しも自分が考えたことを完全に客観的に眺めることはできない。しかし、チェックポイントはいくつかある。このチェックポイントは、自分が伝えてだったときに自分の答えの要素をチェックするヒントになり、また、自分が受け手で、相手の話が理解できないときに、なぜわからないのか、どこがわからないのかを分析するヒントにもなる。

「結論」が伝わらないときの2つの落とし穴

落とし穴1 結論は「課題の答えの要約」であって、「自分の言いたいことの要約」ではない。

「当社は製造小売業という業態に、新規参入すべきかどうか」という命題に対する答えを見出すべくまとめたレポートがある。確かにチームの努力の跡がうかがえる詳細な分析データが並んでいる。しかし、書き手の検討や逡巡の軌跡を瞬間に見抜く神通力のある社長でない限り、この結論を見た社長の反応は次のようなものである。「で、要するにやるの、やらないの」「要するに、どっちなの?」という発言が相手から出てしまっては、残念ながらこのコミュニケーションは失敗と言わざるを得ない。読み手の立場に立つと、どうしてこんなことが、と思われるだろうが、実際に書き手になってみると、この手のことは容易に起こりえる。別に、課題を間違えて検討を始めたわけではない。しかし、検討の途中でいろいろな意見があり、気になることもたくさんあると、伝えたいことが次々でてくる。書き手はさまざまな情報を得て、思考を深め、検討を開始した時点よりそれだけ進化しているわけである。しかし、コミュニケーションの相手である社長はどうだろう。報告会に臨む社長は、自分なりの結論や、それなりの懸念事項を持っているにせよ、自分の出した課題にどんな答えが返ってくるのか聞きたいと思っているだろう。すなわち、SPA事業に参入すべきか否か、の答えを待っているのだ。これが結論だと思ったら、もう一度課題を確認してほしい。自分の結論が自分の言いたいことの要約になっていないか、本当に答えるべき課題に対する答えの核になっているのか、ということを。いかなるコミュニケーションにおいても、課題と答え、答えの核となる結論は整合していなければならない。

落とし穴2「状況に応じて」「場合によっては」に要注意。付帯条件は同床異夢の温床。

相手に結論が明確に伝わる、という点で留意すべきなのは、どうにでも解釈できるような曖昧さを排除する、ということだ。「状況に応じて臨機応変な対応」これは指示の曖昧さにつながる。状況によっては、場合に応じて、といった付帯条件を表す言葉が、あなたの口をついて出たときは要注意だ。その時はぜひ、自問自答してほしい。状況に応じてというが、どういう状況のときにどうするのか。場合によってはというのは具体的にはどういう場合にどうするのか。と。

そして、付帯条件をきちんと説明できるようにしてから、その説明の中身を相手に伝えてもらいたい。例えば、「状況によっては」ではなく「製品Aの売り上げが前年比105%を上回ったら。」と、また「地域によっては」ではなく「代理店カバレッジが40%以下の地域は」というように定量化するだけではなく、「顧客から、店頭での入金処理スピードについて要望が出た場合には・・・・の検討を始める」というように、定性的な中身を伝えることによっても、明確にすることができる。

もし、説明に詰まったら、それは残念ながら、問題がきちんと解けていない、ということだ。表現やコミュニケーションの問題ではない。付帯条件をなくすだけで、結論はぐっと明確になる。

ロジカルシンキング2

伝えるべきメッセージとしては3つあった。

確認1:課題(テーマ)を確認する

まず、そのコミュニケーションにおいて自分が相手に答えるべき課題は何なのか、を確認することである。いつも「自分がいま、相手に答えるべき「課題(テーマ)は何だろう」と自問自答してみる。あなたの考えがどんなに素晴らしいものであっても、「課題(テーマ)」がずれていては、相手の検討の俎上にのることすらできない。ビジネスの場所で課題をまったく誤って認識していたということはまれである。しかし、検討を進めていくうちに、気になる発見やそれまでに見えていなかった課題などが出てくると、そちらに注意が奪われ、いつの間にか自分の頭の中で課題のすり替えが起こってしまう。検討に熱が入れば入るほど、これは自然な成り行きだ。「自分しか見えない病」にかかっている人は「私が今言いたいこと、言うべきことは何だろう」と考える。まずはこれを改めよう。正しいアプローチは「自分がいま、相手に答えるべき「課題(テーマ)」は何だろう。」と自問自答してみることである。

確認2:相手に期待する反応を確認する

会議を持つとき、文書を作るとき、それによって相手にどのようにしてもらいたいのか、どんな反応を引き出したいのか、という期待成果のないコミュニケーションは「独白」でしかない。そして昨今、「独白」につきあう暇のある企業も人も少ないのである。ビジネスにおいて、相手に何かを伝えるという行為自体が目的となるケースはわずかだろう。伝えることによって相手に理解してもらったり、相手のニーズや意見を引き出したり、あるいは相手に何らかのアクションをとってもらう、など相手に何らかの「反応」をとってもらうことが最終目標であるはずだ。伝えることは手段であり目的ではない。

①相手に理解してもらう

伝える内容を相手に正しく理解してもらった上で、知っておいてもらいたい場合。業務連絡、事務連絡などは、ほぼこのケースにあてはまる。

②相手に「意見や助言、判断などのフィードバック」してもらう

伝える内容を相手に正しく理解してもらった上で、相手がその内容についてどのように考えるのか、賛成なのか反対なのか、何か抜けている点はないのかなど、相手から判断や助言、感想などを投げ返してもらいたい場合。ヒアリングやテスト・マーケティングで顧客のニーズを引き出す場合などがこれにあたる。

③相手に「行動」してもらう

伝える内容を相手に正しく理解してもらった上で、相手に実際になんらかの行動をしてもらいたい場合。商品やサービスの拡販のため、販売代理店などの第三者に対して、拡販施設の説明、キャンペーンへの参加依頼などを実施してもらう場合や、相手自身にアンケートに答えてもらう場合などがこのケースにあたる。

何を言えば答えになるのか

答えの要素

結論→課題に対する、書き手(伝え手)の答えの核をなすもの。何かのアクションを提示する場合と評価や判断を表すものの2つがある。

根拠→その根拠にどうして至ったのかという理由。結論の必然性について相手を納得させられるもの。事実と判断の2つがある。

方法→結論がアクションの場合、相手がそのアクションをとれるよう、具体的なやり方を提示するもの。

いつも下に書くことを自問自答したい。

・課題に対して、伝え手が、どのようなアクションをとるべきだと言っているのか?イエスなのかノーなのか?あるいはどのような意見を持っているのか、がクリアに頭に残るか?

・その結論に至った根拠に納得感があるか?

・結論がアクションの場合、具体的なやり方が示されているのか?自分がそのアクションについて部下に指示を出す場面を想定したとき、指示の中身が具体的にイメージできるのか?

ビジネスにおいて課題の答えとして備えるべき要素は、課題によって異なるものではない。答えの要素はたった3つだ。それは、「私の答えを一言で申し上げれば、要するに・・・」といって説明する答えの核の部分である「結論」、そしてなぜその結論なのか、結論の妥当性を説明する「根拠」、さらにその結論がアクションである場合には、それをどうやって実行するのかを説明する「方法」だ。

ロジカルシンキング

相手に自分の考えを伝え、相手に「うん」と言ってもらう、あるいは相手から何らかのアドバイスをもらい、自分の考えをさらに練り上げていく。ビジネスをする上で、多くの人が問題なのは、あなたの考えや提案が相手の手元に届いた後なのである。相手がそれらを読んだり聞いたりした後に、あなたの考えや提案が相手の頭の中に正しくインプットされ、思考回路の中で正しく理解されるまでの時間、そしてあなたが望む反応が出てくるまでの時間ーこれをいかに短縮できるかがビジネスの世界では勝負になる。すると、自分の言いたいこと、自分が重要だと考えていることを相手に理解してもらうためにはどうすればいいのだろうかと悩んでしまう。そして自分の言いたいことをうまくまとめるために、報告書や提案書を何度も書き直す、あるいは、言い回しやフォーマット、はたまたデザインや色使いなどに凝る、ということに走りがちである。実はここに相手に伝わらない最大の要因が潜んでいる。大事なことは「あなた」が言いたいことではない。「あなた」が大切だと思っている事でもない。それが相手にとって伝えられることが期待されている「メッセージ」になっているかどうかなのだ。

相手に伝えるメッセージとはまず、そのコミュニケーションにおいて答えるべき(テーマ)課題が明確であること。第二にその課題やテーマに対して必要な要素を満たした答えがあること。第3にそのコミュニケーションの後に、相手にどのように反応してもらいたいのか、つまり相手に期待する反応が明らかであることである。

初心者がロジカルシンキングを身につけるためにやるべきこと

1、自分の意見がなぜ生まれたのかを考える癖をつける

人はそれぞれいろいろな意見を持っている。自分が持っている意見の原点を探す癖をつけることによって、話に筋道を作ることができるようになる。

例 勉強した方がいい

  ↓ なぜそう思うか

  有名大学に入れるから

  ↓ なぜそう思うか

  将来の選択肢が広がるから

  ↓ なぜそう思うか

  多くの企業が学歴を選考基準の一つに入れているから

 

作った筋道が正しいかどうかよりも、筋道を作ろうと考えることが、ロジカルシンキングを身につける上で大切になってくる。

 

2、自分の意見が客観的に正しいと言えるか検証する癖をつける

上記のように自分の意見に筋道を作った後、その意見に飛躍がないか、客観的に正しいか意識することが大事である。

データを探すという行為は、論理に矛盾や飛躍がないかを確かめる良い手段である。

 

3、話がわかりやすい人のまねをする

話がわかりやすい人は、論理的思考力があるからこそ話がわかりやすいので、その人たちの言葉使いを真似することが思考力を付ける上で有効になる。僕は以下のような言葉を真似して使ってきた。

「なぜなら~」「今日伝えたいことは大きく分けて3つあります」「前提として~」

例えば、なぜならという言葉を口癖にすることで自分の意見の根拠を探す癖がつく。「今日伝えたいは大きく3つあります」という言葉を使うことによって、自分の考えを整理しようとする癖がつく。「前提として」という言葉を使うことによって、漠然と物事を考えるのではなく、具体的に物事を考える癖が付く。このような力は、ロジカルシンキングにはとても重要になってくる。

 

参考文献 就活の手引き

ケース問題などが課される企業が多くなってきているが、正しい答えが存在しているという前提で、その答えに辿りつこうと答えを探す人と、目の前の問題について考えることに集中する人の態度は、まったく異なる。ケース問題は、思考方法を具体的に知るための会話の材料として使われているだけで、それ自体に正しい答えを出すことが重要なわけではない。思考体力、思考意欲を付けることが大切である。企業に入社してから思考スキルは十分に学べ、学生の間に身につけておく必要はない。「頭の中から、解法という知識を取り出すということ」と「考えるということ」が全く異なる行為であり、区別する必要がある。思考意欲が高い人は「半端ではないレベルまで考え尽くすことができる人」であり、そんなことを考えて、何の役に立つのかと思えるようなことを永遠と考える人である。反対に、世の中には、たとえさまざまな思考ツールを使いこなせる高い思考スキルをもっていても、考えるのがそこまで好きでない人がいる。また、思考体力が高い人は、高い緊張感の中で何時間も議論を続け、体力的に消耗する飛行機移動を繰り返し、時には十分な睡眠時間を確保することもままらない中で、それでも明晰な思考や判断が可能になるだけの体力がある人である。また、外資系企業が欲しがる人材としては、①リーダーシップがあること②地頭がいいこと③英語ができることである。日本人に圧倒的に足りていないのは①と③である。この三条件を満たす人が日本人よりも中国人留学生のほうが多くなってきている。その条件の中でもリーダーシップは重要である。

しあわせって何

今、就職活動をしていて、将来について真剣に考えていくうちに軸が大事だなと感じてきている。自分の軸をしっかりと決めることによって生きていくのが少しでも楽になるのではないか。軸がぶれぶれでは生き方が定まらなく、安定した、落ち着いた、幸せな生活が送れないのではないかと思う。どのような人間になりたいのか。しかし、軸を大学生の20数年間生きてきただけで決めるというのはなかなか難しいと感じる。この軸を決めるために少しでもまわりの社会人や自分より年上の人に意見を聞くことで、補えるのではないかと思っている。

話は変わるが、社長で年収もかなり高く、世間からは尊敬されており、社会的には成功しているが実は私生活では全く成功していない、仕事でしか幸せを感じられないようになっている人がいると聞く。これは幸せといえるのだろうか。年収が低くても、家族がいて子供たちに囲まれて、奥さんがいて暖かい家族の方が幸せではないのか。意識の高い学生は有名企業に行きたがるがそのことも前述と同じく、自分の求めている幸せが手に入れられるのか。そのことを最近はとても考える。

地元に帰った方がいいのかなとか、いろいろ考えるとわからなくなってくる。それならいっそ仕事は二の次にして、家族優先にするのも間違っているような気がするし、何が正解なんだろう。