失敗から学ぶこと

”失敗から学ぶこと” このことができる人とできない人では同じだけ生きていても大きな差となって表れてくると最近思うようになった。何回も同じ失敗を繰り返す人、失敗に腹を立てて、失敗を認めない人、他人から失敗について指摘されても、耳をかさない人などさまざまな種類のできない人がいると思う。これらの人達は自分が成長できるチャンスを自ら逃しているということをわかっていない。失敗から学ぶことで同じ失敗をしないどころか、さらに難しいことについても成功できる可能性も逃している。失敗した時に、なぜ失敗したのか、今後は同じ失敗を繰り返さないようにどうしたらいいか、失敗に対しての問題を発見し、また失敗したことよりもさらに難しい状況になったときにクリアしていけるようにまで考えられたら、その人の成長度はかなり大きくなっていくのではないか。そのような癖をつけていくことができれば、まわりに差をつけれるのではないかと思う。成功したときよりも失敗したときに人は大きく成長できるということを常に考えていたい。

また、最高学府である大学まで学び、学業で優秀な成績を取り続けた人というのは、失敗を恐れる傾向があるように思う。これは、間違えないことが正しいことで、失敗をしないからこそ学業で良い成績を残せた結果であると思われる。また常に勉強には正しい正解があり、答えがある状況だからこそ失敗をしなかったということも言えると思う。しかし、社会というのは、正解のない問題に取り組むために失敗は必然的に訪れる。このときに失敗を恐れて、安全な道を選んでばかりいると成長は望めない。

大学まで行っていない人でも、この失敗から学ぶということを身に付けていて、失敗を恐れず、取り組んでいる人は、人間的にも金銭的にも大学まで行った人よりも優れた結果を残せると思う。実際に、この世の中には中卒でも世間的に成功している人は多くいる。社会に出たら学業での世界で通用していた失敗の概念は通用しない。社会では失敗を多くして、そこから多くを学んだ勝ちなのではないかと思う。

最近思うことが経験を積むことで成長するということは、どれだけそのことについて考えたかということとイコールではないかということである。よく言われるのが何事も経験のようなことがあるが、これは経験をする際にそのことについて考えているかどうかということがあるのではないか。経験をしてもその際に何も考えずに物事を行い、反省もしなかったら成長度は低いものとなってしまうと思う。だから経験をしなくてもそのことについて考えた量が結果として現れるのではないかと思う。例えば恋愛については男女の経験という意味では同じである。しかし、女子の方が恋愛について男子の何倍も上であるような気がする。それは恋愛についてそのことについて男子よりも長い時間考えているからではないかと思う。実際にデートなどの恋愛をしているとき以外にも少女マンガや女子向けの雑誌であったり、恋愛について考えている時間が男子より圧倒的に長い。あとどれだけそのことについて嫌な気持ちにならずに取り組んでいくことができるかということも重要な気がする。別に好きである必要はないと思うが、いやいや行うことがなければいいと思っている。いやいや行うことはそのことを改善するか、そのことをやめるかした方がいいと思っている。それは何回もそのことを行ったにもかかわらず嫌になってしまうときなどが上げられると思う。

あと大切なのは時間の活用の仕方である。一番考えることができるのは一人の時間であると思う。その一人の時間をいかに持てるかどうかである。仕事をしている時間であったり、友達と会っていたりすることは議論ができるという点であったり、他の人間から知識や経験を吸収できるということはいいことであるが、考えて成長するという点では効率的ではないと思う。やはりどれだけ忙しくても一人の時間を確保して、考えるという時間を確保したいものである。本を読むことも読んでいるだけで、何も考えずに読んでいてはせっかくの読書の時間が無駄になってしまう。知識を吸収できるという点ではいいがそのことを考えて自分なりの結論を出すことで初めて身につくものだと思っている。とにかく何事も自分の頭で考えて、考えて、考え抜くのである。

あー人生

人間の生きる目的とはなんなんだろう。人間が生きていく上で目的は幸せを掴むことなのか。そのように考えるとお金は手段であるということがいえる。お金を目的として生きていっても、結局はそのお金で幸せを買う。このように考えると、大金持ちでも幸せではないという人間がいることは分かると思う。じゃあ、今現在の幸せだけを考えて生きていくという刹那的生き方はどうだろうか。それも違う気がする。じゃあなぜかと考えてみる。このことを健康で例えてみると分かりやすいのではないか。毎日、大量のアルコール飲み、どんちゃん騒ぎをする。このことを長年、毎日続けていたらどうなるだろう。確実に寿命は縮まっていくことは容易に分かると思う。このことを人生に戻して当てはめると、刹那的生き方は、そのときは楽しいかもしれないが、その後、長年生きていく中で幸せの量は確実に減っていく。あと思ったのが、人間は辛いことがあるからこそ、楽しいことが楽しく感じれるようになるのではないかと思う。毎日楽しいことをしていても、たぶん飽きて楽しくなくなる。今まで辛いと思ってたことの方が、楽しくできるようになっていたりするのではないかと思う。だから、毎日同じことを繰り返すのではなく、さまざまなことに取り組んでいき、その中で生きていくことが人生を上手く生きるこつではないかと思った。だから、恋愛をしながら、仕事もしながら、趣味もしながら、人それぞれのやりたいと思ってたことをしながら、素早く切り替えて生きていくのが面白いのではないかと思う。しかし、人間には疲労が蓄積していくので、永遠に行動していくことはできない。だから、体力をつけることは重要かなと思う。精神的な体力、肉体的な体力両方をつけることで、多くの行動を疲労の蓄積が小さい状態で生きていくことができる。

結論としては、まずは体力を人よりも何倍もつける。(精神的にも、体力的にも)それから、出来る限り多くの、自分のやりたいことをやる。それは、狭く、深くがいいと思う。広く、浅くやっても、全部が中途半端になってしまうので、たぶん狭く、深くがいいと思う。それから、自分がやっていることのたいして、PDCAサイクルを回しまくることによって向上していくとおもうので、人よりも出来るようになりそれらのことが楽しくなる。結局そのことは人よりも高いレベルでできるので、お金が多くもらえるようになる。そのことは本人は頑張らなくてもできるレベルに達しているので、その事以外に挑戦できる余裕がうまれ、自分の上手くできることが増えていく、お金ももっているので、それらを上手く使うことによって、簡単に技術をみにつけることができるようになり、人生はどんどん楽しくなっていくというものである。

利他的に動くこと

人のために動きましょう、ボランティア活動をしましょうとか他人のために動くことが推奨されている世の中だけど、利他的に動くことは結局、利己的になるのではないかということを考え続けている。利他的に動く→人がこの人間は優しくて、いいやつだと思う→利他的に動いた人間の周りに人が集まってくる→この人間の環境が良くなり生きやすくなる。結局、自分に返ってくるわけである。有名な話に大金持ちは多額の寄付をするという。大金持ちはこのことに気づいていたから大金持ちになることができたように思う。結局親や先生が他人のためを思って生きましょうは自分の環境をより良くするためであったのだと思う。今更になって気づきました。暴走行為、盗み、陰口、悪口、嘘などは止めましょう。結局自分が生きにくくなるだけ。他人に思いやりを持って接すことができれば、感謝されるし、そのことが快感となって良い循環が生まれると思う。この前はエレベーターから降りる時に、自分が開のボタンを押し続けることで乗っていた人全員から「ありがとう」と言われ、うれしかった。この快感を一度でも味わったら、やみつきになる。この良い循環を回していければ、寂しい人生にはならないのではないか。他人のことを常に考えること、これが生きていくコツではないかと思うこの頃です。

人生に正解の答えはあるのだろうか?おそらくないと思う。生物学的に人間はなぜ生きているのかを考えると、それは遺伝子を後世に伝えるための道具でしかないというホーキンス氏の見解がある。そう考えると、生きることははかないものだなと感じる。じゃあ神様が運命的にあなたという人物を創造し、この世に生まれされたのかというとそれも胡散臭い。結局、人間は生まれてから、死に向かって進んでいるわけで、途中で何かを出来るようになり、成長し、また何かを出来るようになり成長するが、結局は死んでしまう。一番の人生の成功は大金持ちになり、名声を得て、この世で誰もが知っている人間になりとか考えていくときりがないが、結局、この人たちも年をとり、死んでいく。逆に、貧乏であるが、家族に囲まれ、暖かい雰囲気の家庭で生きていき、死んでいく。どちらの人生も、結局は死んでいく。人間が生きていくことのできる期間は80年ぐらいであり、そのなかで何をやっていくか。最初の20年くらいは、親に決められることが多いと思う。最後の10年も体が動かなくなり、精神的にも積極性がなくなっていき自由な生活は望めない。と考えると50年しかないか、もあるかは人それぞれだが、その間で何をやっていくかということである。

今の日本は大体の人間が20代前半まで、親の言うことを聞いて、大学、短大、専門学校に進んでいく。自分ではほとんど何も考えずに。とりあえず大人になっても生きていくことに困らないように、自分一人で生きていけるようにと願い、義務教育期間が終わってからも、学業を続けさせて学歴を高くしようと考えている。このことはありがたいのか、ありがたくないのかよくわからない。しかし、一般的な能力に秀でていない人間にはありがたいのかなと思う。

人生を生きるコツは短期間、長期間の目標を決めてそれに一生懸命ではなくても、その方向に進み、自らが成長を実感することではないかと思う。そうすることで自信が付いてくる。この人生を楽しく生きるためには必要不可欠だと感じる。

大切なこと

大学生が将来こうなりたいという夢を持つということは一見いいことのように見えるが、所詮、大学生の能力なんて社会人の方と比べたらかわいいものである。大学生が夢を持つ前にまずは実力をつけるべきである。実力を付けてから夢を持つべきである。実力がないのに夢だけ持ってもそれは絶対にかなわないし、かわいそうな人間になるだけである。まずは実力をつけろ。

また人間は、真剣に調べたり、考えたりしたことのないテーマについては考えることができない。よって多くの知見をつけるために調べたり、考えよう。

人間は声で考えて思考する。議論をしたり、文章を書いたりすることで考えることができる。チーム思考とはダイバーシティで話し合い、合理的にディスカッションすることによって思考がより深まる。

群れのルールとは人間は99.8パーセントは間違っているが思考が停止している為に自分の考えか群れの考えなのかを見極めないで間違った群れの考えに同調してしまうことである。しっかりと自分の頭で考えて、本当に正しいと思った方向に行かなければ一般市民になってしまう。ビジネスにおいて常にマジョリティーと反対の方向で活動しなければ、上位0.2%には入れない。また、群れからはなれる人間ほど成功する傾向が高い。

モテに関して言えば、年を重ねる程、かっこよさ、かわいさは半減していくが、重要な問題解決能力は上がっていき男は30代が一番モテる。

差別化をするにあたって専門性を2つ、3つ多くもっていればいる程組み合わせたときに貴重な存在になることができる。

住宅ローンは組むなということ。

 

 

コミュニケーションスキル

コミュニケーション能力とは

理解力 意図を含めて理解する → 根堀り葉掘り「きいて」あげる。

思考力 論理的に考える → 思考は一瞬の勝負。相手の気持ちを考える。

伝達力 簡潔にわかりやすく、インパクトがあるとよい。

 

コミュニケーションがずれるとは能力の問題と性格・意見の問題である。

多くの人間は聞くよりも話したいと思っている。ここで我慢をして相手の意見を聞いてあげる。心で聴くー応えるを意識するとよい。

 

コミュニケーションをする際に気をつけておくとよい点

短気である ー 1を聞いて10を知る → 早合点になりやすく、意図と違う考えとしてとらえてしまう可能性が高くなる。最後まで話をしっかり聞こう。

自己顕示欲 - 評価されたい、認められたいという意識が高いと話が長くなったり、面接のときにPR中心になってしまう。

自己弁護 - 自分に不利になる話を知られたくないという思いが強い人ほど言い訳が多くなる。

コミュニケーションのヒント

目的をもった巧みな質問で情報を入手

突っ込んだ質問 → 「困っていることを探りたい」という目的

発言・行動の意図を性格に把握

複数の提案 → 選択できる余地

ストクロージング → 相手の本気度を確認、ネックを確認

相手の立場になって考える → 売りつけるのではなく本当に満足してもらいたいと思って行動する。

相手の立場・役割の把握 → 夫:購入者 妻:決定者 → 役割を理解する

心をこめて「ありがとう」 → 「ありがとう」と口にする。口にしなければわからない。

コンサルティングコミュニケーション

当て推量は厳禁 → 言葉は人によって定義が同じとは限らない。特に「カタカナ言葉」「形容詞」は要注意。

質問することと聞くことは同じこと → 傾聴することによって効果的な質問をすることは聴くに値する。商談が成功するとき、クライアントが70%話している。

核心をつくコミュニケーション → 質問は3回掘り下げることによって本質をつく。

相手が話しているときにうなずき、相槌は大切である。 → ファシリテーション

誘導的な質問は慎む → オープンクエスチョン ok クローズドクエスチョン no

 

クライアントは最重要事項から話すとは限らない

①課題をリストアップする。

②モレがないかを確認

③最重要事項を見つける

④深く掘り下げる

⑤要約して確認する

⑥その他の課題の優先課題を付ける。