自信

何か偉大なことを成し遂げた人(政治家、有名人、スポーツ選手、教授など)は極論で物事を考えている気がする。例えば電波を使った機械などはそのものがなかった時代に発明した人というのは極論で考えなければ絶対に発明出来ないと思う。というのもその当時、周りの人間にそのような事を言ったら馬鹿にされるだろうし、それをはねのける自信がなければできないと思う。極論で考える人というのは自信がかなりある人だと思っていて、サッカーの本田選手などはもう自信の塊だと思う。自信があるからなのか、自分に自信をつける為なのか分からないが、極論をよく言うと思う。レアルで10番をつけるとかワールドカップで優勝するとか極論である。日本対オーストラリア戦で本田選手がPKを蹴って見事に決めたが、後のインタビューで緊張したと言っていてやっぱり本田選手でも緊張するのだなと思った。このことは誰もが全く緊張しないメンタルを持っていないということがよく分かった。だから極論を言うのは自分に自信をつけるために言っているのかと思う。しかし、政治家なども心で思っている極論をブログなどに書いて、それがばれて非難されるということとかがあるから、その自信や極論の使う方向が重要なのかなと思う。有名になる前までは根拠のない自信でもいいと思う。成功する為にはやっぱり、自分を信じることでしか積極的に物事を行えないと思うし、何でもいいから成功体験を少しずつつける事が重要だと思う。ある程度成功してくるとどこかでつまずくと思う。そこで自分は慢心していたのだな、正しい方向で努力しなければいけないな、ということに気がつくと思う。その成功するには自分に合った方向で努力しなければいけないと思う。その体格であったり、家系だったり、人間は不平等なので自分が得意で成功する確率が高いところへ行くべきである。でもその今までに行ってきた事以外にも何か才能はあるかも知れないし、その他の部分を伸ばしていけるのかなとも思う。だから、その人生というのは短くて、その大きい事を成し遂げるには短くて、いろんな事をやっても分散してしまって、一つの事に集中出来なくなり、大したことが出来なくなるというのがほとんどの人間であると思っている。例えどんなに努力しても物理的に無理なものは無理だし、その自分はそうなのだが、歌、サッカー、フットサル、勉強、英語、運動神経、ファッション、分散しすぎていると思う。この才能を一つのところに集中させたら凄いところまでいけるのかなとも思ったりするから、その何か成功したい思ったら一つの事に集中し、正しい努力(その分野で成功している人に聞くと一番早い、その分野の本を読む)を行い、今までに成功したことでいいから自信を持って(この自信があればある程いいと思う)、失敗は努力の方向や仕方を見つめなおす機会と捉え、このサイクルを繰り返していけば誰でも何かしらの偉大なことは成し遂げれるのではないか。てか絶対にできると思う。このことに早く気づいたら東大にいけるし、社会人になる前に気付いたら、いい会社に入れると思うし、社会人になって気がつけば重役になれたり、年収がかなり良くなると思う。人間の能力というのはそんなに対して変わらないと思うから、このことに早く気付いた者勝ちかなと思ったりする。このことに築いてから自分自身かなりいい方向に変わってきたと思うし、このことを死ぬまで行えば何にかしら偉大な事が出来るのではないかと思っている。